いま思えば「謎の流行」! ハイソカーブーム時代の機能性無視の「豪華絢爛リヤシート」たち
1: 2021/07/08(木) 07:55:30.85 ID:1cxcQo3j9
Webcartop7/7(水) 11:42配信
https://www.webcartop.jp/2021/07/730107/0/

 日本がバブル景気に向かっている1980年代前半、自動車業界では「ハイソカー」トレンドがあった。けっして高級車というわけではない、5ナンバー(小型車)枠のモデルに豪華絢爛なインテリアや電装アイテムを備え、ツインカムやターボといった贅沢なメカニズムを採用したことが、ハイソカーの条件となっていた。

 そんな昭和のハイソカー・ブームをけん引したのがトヨタのマークII、チェイサー、クレスタの3兄弟(X70系)だ。いずれも1984年(元号でいうと昭和59年だ)にデビューしたリヤ駆動の5ナンバー4ドアモデルで、マークIIとチェイサーに用意された4ドアハードトップも、またハイソカーをイメージさせたことは記憶に残る。

 とはいえ、思い出してもハイソカーとして認める明確な条件があるわけではなく、ある意味でユーザーがハイソカーだと思えるムードを持っていることが大事だった。今にして思えばハイソカーと認められる条件のひとつに「豪華なリヤシート」も欠かせない要素だったかもしれない。

 実際、マークIIのインテリアはワインレッドのモケット仕様で、なんとも非日常的だった。とくに後席はフカフカとしたクッション性がユーザーの心に刺さった。冷静に考えれば、乗員の姿勢としてはお尻が沈みこみ過ぎていて、腰が疲れやすくなってしまうほどだったが、それこそがラグジュアリーと感じられたものだ。ファミリーカーとは一線を画したシートこそが、昭和という時代が生んだハイソカーの象徴だったといえる。

自動車業界全体に影響を与えたハイソカー・ブーム到来!
 その影響は大きく、車格としてマークII3兄弟の好敵手だった日産の5ナンバーセダン、ローレルやスカイラインも同様にワインレッドのフカフカとしたシートを用意した。1984年に誕生したローレルにはメダリスト、1985年にフルモデルチェンジしたスカイラインにはパサージュというグレード名が用意されたのは、ハイソカー・ブームがイメージ重視だったことも示している。

 とはいえローレルはまだしも、スポーティセダンのイメージが強かったスカイライン(7代目)がハイソカーを目指したことは、ユーザーニーズからすると当然の判断といえたが、熱狂的なスカイラインファンはそれを決して認めることはなかった。そうした反発が、8代目スカイラインにおけるダウンサイジングやGT-Rの復活につながったという見方もある。7代目スカイラインと比べると後席の快適性を捨て去ったかのようなパッケージは、アンチ・ハイソカー的な意思も感じさせるものだった。

また、意外なところでは1989年にブランニューモデルとして登場したスバル・レガシィ(初代)にもワインレッドの内装仕様は用意されていた。レガシィといえば、ボクサーエンジンの質実剛健なイメージが強いかもしれない。サッシュレスドアのクーペ的なイメージもあり、初期の商品企画ではハイソカー的マインドにも刺さる仕様が用意されていたのだ。

 ところで、1989年いえば日本はバブル経済に狂騒していた時代。5ナンバーのハイソカーから3ナンバーサイズの余裕のあるボディを持つ、ラグジュアリーカーが生まれ始めた。

 そのなかでも個性的なリアシートを持っていたモデルといえば思い出すのが、マツダのユーノス・コスモだ。

 ロータリーエンジン専用クーペとして1990年に誕生したコスモのリアシートは2座仕様で、ラウンドしたソファーのような形状に仕上げられていた。しかもレザー仕上げとなっているのだから、これこそバルブにふさわしいラグジュアリーの表現として、国産車に新しい世界を切り開いていった。

 もっともコスモのリヤシートは、スペース的にはけっしてラグジュアリーといえるものではなく、後席パッセンジャーにとっては快適とはいいがたい空間ではあったが……。

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Source: 車ちゃんねる
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