三菱自動車の社長が作った戦闘機、実はとんでもない高性能機だったwwwwwww
1: 2023/08/30(水) 12:33:37.85 ID:n2b+tDvT0● BE:866556825-PLT(21500)
不世出の高性能機をもった高速双発戦闘機【キ83】

https://news.yahoo.co.jp/articles/49596df6d2736f17b6ea50670ff014a4221be142

太平洋戦争も中盤を過ぎて末期に近づくにしたがって、敗色が濃くなった日本。苦境に立つ皇国(こうこく)の起死回生を担う最先端の航空機を開発・実用化すべく、日本が誇る技術陣は、その英知と「ものづくり」のノウハウの全てを結集して死力を尽くした。第13回は、日中戦争で長距離護衛戦闘機を持たなかったことを反省した日本陸軍が開発を要請した、戦略偵察機としても運用できる長距離飛行が可能な高速双発戦闘機キ83である。

 日中戦争において、日本陸軍は中国本土奥深くの目標に爆撃に向かう爆撃隊を護衛可能な長距離戦闘機を持たなかった。ゆえに爆撃隊のみでの出撃となったが、その都度、中国軍戦闘機に迎撃されて犠牲が生じていた。また、長距離飛行が可能な新しい戦略偵察機も配備する必要があった。

 そこで陸軍は1941年5月、爆撃機の護衛を主任務とし、将来的には戦略偵察機型も派生可能な長距離戦闘機の開発を三菱重工業に要請し、この機体をキ83とした。これを受けた同社では、久保富夫(くぼとみお)を設計主務者として開発を開始。陸軍の要望にそった機体の開発に努めた。

 ところが途中で陸軍の要求が逐次変更され、設計陣はそれに振り回されることになった。その結果、最終的には双発複座とされたが、後席には機体上部に飛び出した風防はなく、胴体内部に座席を設け、後席員は胴体上部と左右の両側面の窓から外を見ることとされた。しかもこの後席は、戦闘機型では単座仕様とされて用いられないことになっていた。

 またエンジンには、当時の日本ではまだ試作の域を出ていなかったターボチャージャーを取り付けた、自社製の空冷星型エンジンであるハ214ルを搭載した。

 固定武装は機首下面に30mm機関砲2門と20mm機関砲2門という重武装で、50kg爆弾2発も搭載でき、長距離護衛戦闘機であると同時に敵重爆撃機の迎撃や、対地襲撃機としても運用可能とされた。

 しかも航空機の防弾を重視していた陸軍の機体であるため、乗員周囲と燃料タンクにはアメリカやイギリスの機体並みの防弾が施され、一部の燃料タンクには窒素ガスの充填が行なえて、自動消火装置も備えられていた。

 初飛行は1944年11月に行われ、エンジンにわずかな振動があるほかは良好な性能であることが確認された。途中から海軍と共同での開発となったものの、大戦末期の混乱と資材不足の中で、優秀機にもかかわらず主にターボチャージャーの量産化という問題もあり、結局、実用機の生産はかなわなかった。

 キ83の試作機は4機が造られたが、1機は事故で墜落。2機は空襲で破壊され、終戦まで残存したのは1機だけだった。戦後、この残された1機がアメリカ軍によってテストされたが、その結果、アメリカ製ハイオクタン・ガソリンを使って最大速度762km/hを達成したと非公式に伝えられる。

 キ83は、国力の限界で試作から先へと進めなかった、悲運の高性能機といえよう。
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Source: 車ちゃんねる
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